エピソード

630年という長い歴史をもつ東明禅寺にまつわる、様々なエピソードをご紹介します。

観命ばあさん?
全身全霊の献身と奉仕?

18世紀に火災で焼失した観音堂を、観音様の命を受けたからと、全身全霊で再建した女性がいました。

観命法尼(別名、観命ばあさん)と言います。

男勝りで献身的な彼女の働きがなかったら、今日の吹上観音はなかったのです。

80歳でこの世を去ったと言われています。

百庚申

庚申塔が135基置かれています。

作成年次は江戸時代中期の宝暦年間から明治中期にわたっていますが、江戸時代末期の嘉永元年、同2年のものが約100基を数え、このときに親庚申塔が置かれました。

100基以上もあるのは全国的にも大変珍しく、和光市の文化財として指定されています。

撮影(ロケ地)

東明禅寺の境内は、映画やドラマのロケ地として利用されています。

●柔道一直線 > 地獄坂

●昭和残侠伝 > 高倉健主演

●東映系戦隊もの > ゴレンジャー、怪傑ズバット、キカイダー、ロボコン他

びんぼう和尚

江戸時代、人々から「びんぼう和尚」と呼ばれる、露身という名の僧侶がいました。

露身は寺に定住しないで、長年、托鉢をしながら修行をしていたので、「びんぼう和尚」の呼び名がついたのです。


ある日、露身は誓願を立てました。

それは東明寺の観音様に鐘を奉納するために、浅草寺の観音様と東明寺の観音様の間を百日間、乞食して往復することでした。

それは雨の日も風邪の日も休むことなく続けられたのですが、並大抵のことではなかったのです。

露身は川越街道を托鉢しながら、自らには粗食の粥を貸して、施された銭はもちろん、施しの米は貯めて銭に換え、貯えをして、ようやく半鐘を鋳造することができたのです。


当時は、浅草の観音様をお参りして、吹上の観音様をお参りすることが習いでもありました。

それをしないのは「片参り」と言われたほど、当時の人々にとって、東明寺の観音様の信仰がどれだけ扱ったかがよくわかります。

市文化財紛失?!

和光市の文化財である鰐口が、昔紛失したのですが、赤池の跡地で見つかりました。